なぜ日本は若者が希望を持てない社会になってしまったのでしょうか?
その大きな原因と言えるのが今の主流派経済学(新古典派経済学)にあります。
今の主流派経済学では、経済人と呼ばれる「経済合理性以外の価値観を持たない人」を前提に理論が組み立てられています。
今や政治もこの誤った経済学によって運営され、自己の利益最大化を図り、損得勘定で行動を決める経済人が勝ち組になる社会を作り上げている訳です。
そんな社会では、結婚や子供を育てることすら、損得勘定でおこなわれるようになります。
例えばホリエモンこと堀江貴文さんは経済人としてとても優秀な方ですが、「子供は資産じゃなくて負債になってしまう可能性がかなりある」とツイートし、子供や家族という存在すら損得勘定で見ています。
このような経済人としての考えでいくと、自分の思い通りにならない子供は自己利益最大化のためには邪魔であり、この考えが行き過ぎると子供を暴力で従わせるというような歪んた大人を生んでいる可能性が高いのです。
さらに今の主流派経済学は、自由競争や、グローバリズムを善としており、財政出動や政府債務の増加を厳しく批判します。
結果、需要が高まらずデフレ圧力がかかり、人件費は抑制され、格差が拡大するようになっているのが、今の日本の状況です。
格差拡大効果の高い消費税増税に代表されるように、所得再配分を担うべき政府が小さな政府を志向している状況で、大手資本の生産財を消費していては、いつまでたっても私たちの所得の増加は起こりません。
漏れバケツ理論というのをご存知でしょうか?
企業や工場誘致、観光など地域にお金を入れれば、地域が良くなるというのが今までの考え方だったのですが、実際には、かなりの金額を投資しても地域がなかなか豊かにならずに貧しいままということがあります。
これを地域経済をバケツでたとえると、穴の開いたバケツから水が漏れてしまっているように、地域からお金が漏れてしまっているのではないか、それがこの絵にもあるとおり、地域からお金がどんどん漏れてしまっている漏れバケツ、として表されています。
投資や観光によって地域にお金が入っても、それが地域の外にある郊外のショッピングモールや、建設業者の支払いに使われてしまった場合には、せっかく入っても「だだ漏れ」になり、すぐに出てしまいます。
モノやサービスの生産額と消費額と所得額は等価関係にあります。(詳しくはGDP三面等価の原則をググって下さい)。
地域で生産したものを消費すると、その地域で営んでいる人の所得になります。
所得を得た人がさらに地域で生産されたものを消費して、他の人の所得が生まれ、その所得で消費して、、、。
これが繰り返されることで地域は豊かになります。
つまり、地域に入ってきたお金が地域に留まりどれだけ循環したかが重要になります。地域経済は通貨の循環量によって豊かになるのです。
かつてはそれぞれの地元で、食料や燃料は十分に自給していました。現在、地元で生産されたものを消費する割合は1割もないそうです。
それをせめて5割まで回復させた場合、どのくらいの所得が取り戻せるかを人口1620人の村で食料品・燃料に限って試算したところ、約2億円(1億8394万円)もの所得創出になるのです。(人口減少対策における農山漁村地域のあり方に ついて(平成26年度)島根県中山間地域研究センター研究統括監・藤山浩)
未来への希望を持ち衣食足りた暮らしを創るために私たちにできることは、農産物に限らず地元で作ったものを地元で消費する、地域経済循環による所得の増加です。
安いからといった経済合理性で大手資本が生産するモノやサービスを消費をするのではなく、自分の住んでいる地域が好きだから地域で作られたもの、地域の人が関わっているものを消費するということが必要なのです。