デビッド・グレイバーの負債論では「能力に応じて貢献し、必要に応じて分配する」というあり方をコミュニズムというそうです。
人は一人では生きていけない生き物であり、だからこそ、個々が何かしらの社会での役割を担い、貢献して生きるという意識がなくては、様々な歪が生じると思うのです。
今だけ、金だけ、自分だけの生き方をする人が増えていけば、嘘や隠ぺい、詐欺や汚職が蔓延し、社会は荒んでいき、いらぬ対立を生み、良からぬ結末しかもたらさないでしょう。
日本では経済合理性による東京一極集中が加速し、大手資本による大型ショッピングモールやコンビニ、フランチャイズ店の進出により、地方の中小の小売は危機に瀕しています。
税収も本社のある大都市に集まり、地方自治体の財政状況は悪化の一途で、適切な財政支出が行えず、行政サービスの縮小はますます加速していく状況です。
さらに近年、GAFAといった巨大プラットフォーマ―により、購買履歴といった様々なデータが吸い取られ、スマホで何でも簡便に利用できる反面、国内企業の利益のかなりの割合がプラットフォーマ―に流出することも私たちの所得が増えない一因となっているでしょう。
ユヴァル・ノア・ハラリの「ホモデウス」ではGAFAのような一部の巨大企業経営者がこの世界を支配する神(ホモデウス)として君臨し、膨大なデータにより人々を支配する世界の到来を危惧しています。
この状況に対して、個々で戦っていては状況は悪化するだけでしょう。
個々の能力には様々な要因、例えば親の教育水準や所得により差が生じ、政府の役割を小さくする「小さな政府」の下で自己責任で生きることを強いられる社会では、格差が広がり、生きにくさを感じてしまうことは必然です。
共通の目的、体験、価値観を共有するコミュニティを形成し、能力の高い人が地域経済をひっぱり、できるだけ地域で自給自足し、その過程を楽しみ、コミュニティ内の他者貢献によって人生をより良い充足したものにしていくという生き方を模索していく必要があるのではないでしょうか。